2015-01-14

ジパングへの途 西洋古地図に描かれた極東像




東京行ってた時にちょうど開催されてて、見に行ってきた!

私はむかーし、望夢楼というサイトの「幻想諸島航海記 > 金銀島」というページを見つけてから、昔の地図に興味をもつように。
今回の企画展は、まさに今まで本だけで見聞きしてきたような地図を実際に見られるとあって、ワクワクしながら(ワークワーク島とかけてるわけじゃない)現地へ。



さっそく迷う


渋谷にある大学へ着いたけど、「國學院大學博物館」というのがどこにあるのかわからない。

受付の方に「道路を挟んで向こう側の、学術メディアセンターにあります」と聞いてそっちへ。が、中にも博物館らしき所がなくて、なんか手がかりないかとウロウロ。
貼られたポスターに「開催:センター地下」と書いてあったので、地下へ行く方法を探す。

が、ない。

通路奥に地下への階段を見つけるが、「関係者以外立入禁止」とあって、さすがに違うよな~と。

だんだんゲームのダンジョンみたいに思えてきて、「なんだこれは、隠し通路とかあるのか!?」なんてちょっと興奮してきたのだが、もっかい戻って受付の人に聞いたら、「外に入口がある」と。

……ありました。めっちゃわかりやすい。



マルコ・ポーロ『東方見聞録』


まず登場したのは13世紀の『東方見聞録』複製版。

ジパングの財宝を狙うフビライ・ハンらモンゴル軍は、暴風雨により孤島へ避難。
そこで始まったモンゴル(手前)vsジパング(奥)の挿絵だそう。

ジパングについて「大陸沿岸から1500海里に位置し、豊富な黄金をもっている」と説明。

実際目にしたものは、思ってたよりかなり大きくて、色も鮮やか。
装飾も凝ってて、これ全部書くのどれくらい時間かかったんだろう…と気になった。



マッパ・ムンディ(ヘレフォード図)

"Hereford Mappa Mundi 1300".
Licensed under パブリック・ドメイン
via ウィキメディア・コモンズ.

中世ヨーロッパの世界地図を「マッパ・ムンディ」と言うそうだ。
「マップ」の語源なんだって。

中でもこの「ヘレフォード図」は最大のもので、高さは私の身長くらいある(158cm)。
上の図は色が茶系だが、私が見たものは海や川がもっと鮮やかな青と水色、右上の赤いベロみたいな部分(ペルシア湾と紅海)も目立っていた。

エルサレムが中央にあり、上端のまあるい島が東のエデンを表すそう。 >図
大まかな位置把握は以下がわかりやすい。


Wikipediaを読んで気になったのは、この部分:
タファナ島と四つの小島

タファナ(Island of Taphana)とはスリランカ、またはスマトラ島を示しているという説もある。
古代ギリシアやローマでは「タプロバネ」(Taprobane)と呼ばれていた。
四つの小島はクリュセ(Chryse)・アルギュラ(Argyra)・オフィル(Ophir)・フロンディシア(Frondisia)を指す。
それぞれが実在するどの島と対応しているかは不明だが、オフィル島は旧約聖書において黄金を産出する場所と記されている。
これは先の「幻想諸島航海記」にもある記述。
伝説の金銀島は実際にはどこのことだったのか?


関連:



カタラン・アトラス


これも美しく、眺めていて面白い地図だった。1375年。
極東の海はカラフルな小島で埋め尽くされている。
「7548島あり、金、銀、香辛料、高価な石が手に入る」




15~16世紀


いよいよ地図に、極東に位置する日本(cimpagu、zinpangri)が登場する。

1549年にはフランシスコ・ザビエルも鹿児島の祇園之洲町に到着。
どうでもいいけど、祇園之洲って地元じゃ「ぎおのす」と言ってるから、正式名「ぎおんのす」と聞いてびっくりだ。カーチャンもびっくりしていた。


1554、「ローポ・オーメンの世界図」にはじめて実在の日本が描かれる。
半島の先に位置する、九州のような日本(japam)。
そして、その東にはジパングが別に存在する。
日本=ジパング、というわけではなかったらしい。
これがかなり意外だった!

1571、「ドゥラード アジア沿岸図」もおもしろい。
右上にあるのが日本。九州、四国もちゃんとあっていい感じの形をしてるのだが、本州の北の沿岸がツルツルしてるのは、たぶんまだよくわかってないんだろうなあ、と。気持ちわかる。



1570、「オルテリウス 東インド図」は「IAPAN - この島をマルコ・ポーロはZipangriと呼ぶ」と紹介。1589、「オルテリウス 太平洋図」は日本の北に「Isla de Plata 銀島」を描き、「おそらく昔のアルギュラ Argyra」と記述。

ジパングと言われたりジパングは別にあると言われたり銀を産出するから伝説の銀島なんだと言われたり。う~ん、いろいろあったんだなあ。

あとはー、日本の描かれ方に4つほどパターンがあって、その比較図が展示されてたり。
「都」が「ミヤコ」っていう都市名?になってるのも、面白かった。

ジパング=日本になっていく過程は、『ジパングと日本』という本に詳しく載ってるそうなので、また読んでみよっかなーと思う。


関連:
日本はこう描かれてきた - 北海道改め埼玉の備忘録



その後


たくさんの埴輪と土器に囲まれ、特に鹿とイノシシの埴輪に心惹かれ、イノシシはどう見てもイノシシっていうかアナグマじゃね?と突っ込みながら博物館をあとにした。

お腹が空いたので帰りにレッグオンダイナーに寄って、パインバーガーってのを食べて、リンツでチョコ食べて、渋谷の探検はおしまい。酢豚のパイナップルはあんまり好きではないが、ここのはおいしかった。ピクルスはいまいちだったけどね。

東京観光はあと「中井英夫展」と、山種美術館の記事も書きたいんだけど…、まあまた気が向いたら書こー。



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