2018-01-22

近況 2018.01

姪誕生、甥と遊ぶ日々

12月の姪っ子誕生に合わせ、妹と甥っ子が実家に帰ってきた。
家族みんなで家事やら分担して、無事出産。

甥っ子はもうすぐ2歳。
もう言葉も色々喋りだして、「ごはんだよー」と食事を勧めてくれたり
(さも自分が用意したかのように言うのでおもろい)、
色の「あか」が分かるようになってたり、成長の早さに舌を巻く。

乗物が大好きで、プラレールやブロックで線路を作って、
汽車や新幹線を走らせてごっつんこさせたり、
大量連結・踏切STOP & GOが日課。

あとおばけが怖いみたいで、
湯沸かし器が「ピロリロン♪ オ風呂ガ 沸キマシタ」と喋ると、
「こわい!!ぁっこ!!(抱っこ)」と抱きついてくる。かわいい。
中に知らない誰かがいると思ってるみたい。


そんなほのぼのした中で、グレッグ・イーガン(SF作家)に手を出したら、
よりによって短篇『キューティ』を読んでしまってな……。
心をえぐられた。


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読書


竹本健治『匣の中の失楽』を読み終わってから、
形而上学的な本をよく読むようになった。

『匣の中の――』は、読み終わった直後はそうでもなかったけど、
考察を始めるとどんどん評価が上がる本だった。
ミステリ三大奇書の中では、好みだった『虚無への供物』に並ぶくらい夢中になれた。

構成に入れ子を使うせいかペレーヴィン『恐怖の兜』とも似てるなーと思って、
こちらも読み直した。
9年前に読んだ本だけど、再読すると、昔の自分はかろうじて独我論・入れ子・文字表現=頭の中の思惟(パンデモニウムモデル)・忘我(悟り)、といった点は読み取れているものの、それでも10%くらいしかわかってないんじゃないかと感じた。
そんでいまブログのレビューを1から書き直しているところ。

『恐怖の兜』は今読んでも、本当によくできている。
ふざけてるくせに深淵で、つかみどころなく真理を突いてくる。
読みやすく親切だけれど、侮れない。人間の心を対象にしてるせいもあるんだろう。

10%しか読み取れてないとわかるって事は、それだけ自分が成長したってことなんだろうけど、たとえば他の本でもう再読しない、一回きりの出会いだってある事を考えると、恐ろしくて仕方ない。全然わかってないのに、わかったつもりでその本から離れてしまうわけだから。
脳の前借り機能がほしい。

格ゲー用語でよく「download complete」とか「downloaded」って使うけど、ほんとその本を読むのに必要な前提知識・経験の情報をダウンロードしてから読みたい。
BCIでそのうちできるようになるのだろうか。
未来よ、早く来い。

そこからボルヘス『伝奇集』(篠田訳)、
ダニエレブスキー『紙葉の家』、
円城塔『Self‐Reference ENGINE』、
ヴォネガット『タイタンの妖女』、
イーガンを色々つまみ食い、
で最近なんか知らんが途中まで読んで次の本に行くという行動をやってしまうので、
全部まだ読み終わってはいないのだけど、そのうち読み終わるはず。

冒頭を読んだ限りだとパトリアウ『古書収集家』がすごく好みの文章で
「彼女の祖国では、女は雌鳥のように卵を産んでいたという」
プラセンシア『紙の民』を彷彿とさせるような、わくわくぶりだった。
読むのが楽しみだ!!

「魔術的リアリズム」というジャンルだと思うんだけど、
中には合わない作家さんもいたので、
なかなかストライクなものを見つけるのって、大変だ。

一方、ペレーヴィンの『ジェネレーションP』もパラ見だけど、ものすごく面白そうで、自分の好みはそのふたつの系統に分かれそうだ。
ペレーヴィンは、自分の中では「文学のパズルゲーム」って感じがしっくりくるのだが、ジャンルとしては何て呼ぶんだろう。

あと最近はネットで読めるPDF論文とか読み物に時間を割くことが多い。
最近読んだ中で、熱量が感じられて面白かったのはこれかなあ:
無限論 - 心の哲学まとめwiki
(数カ所誤字があるのが少々もったいないと感じるくらい良い読み物でした)

大河『西郷どん』と方言

1話を見ました。
方言推しなドラマで、「鹿児島でも放送内の方言がわからない人がいる」とテレビで言ってたけれど、これは方言がわからないというより、県外の人が使う・またはドラマ用に洗練されるとどうしてもイントネーションがよんごひんごになる(違ってしまう)ので、結果聞き取りにくくなる・違う言葉と認識してしまう現象だと個人的には感じました。

若い人は、方言自体わからない層も増えてるのかもしれないし、県内でも方言には差があるので、一概には言えないことなのですが。

鹿児島かごんま出身の沢村一樹さん(赤山靭負ゆきえ 役)
「良かもん見せっやっでな!」
とか、川(甲突川?)で洗濯してたおばあちゃん(重田千穂子さん)
「知っちょっじゃろがー。そいは男んし、そっちは女おなごんしのタライよー」
とかは、ほんとわかりやすかったもんなー。

そんな私は冒頭の「ちごっ、ちごー!」で、いきなりつまづき、
「んにゃもー、がっつぃ!『ちごー』ち『違ちごぅ』ね。わからんかったがー」
などとぶつくさ言いながら見かたでした(見ていました)。

でも役者さんはみんな、ほんと頑張ってるのよ。
方言というのがそのくらい、ものすごく微妙なところ、細やかさを要求されるものだということなんだろうね。どの地方の言葉でも。
勉強になりもした。

まだ1話で、これからどんどん慣れてく可能性もあるし!
期待しつつ見てこーと思います。

 ◆ ◆ ◆

ちなみにかごんまではありがとうを「あぃがとさげもす」「あぃがとさげもした」と言うけども、うちの祖母の言い方だと「あぃがともしゃげもしたぁ…(一礼)」になり、「ありがとうを申し上げ申した」の訛りだという事がわかりやすい。

もう「いしちゃ!」「いして!」は出てきたかな?
これ今でもよく使うから使ってほしいなぁ。
水が自分にかかって「濡れた!」と「汚い!」を足したようなニュアンスの方言です。
「んにゃ!そげん水たまりで跳ねたら!いしちゃ!濡れたがね~!」
(うわっ!そんな風に水たまりで跳ねたら!うへっ!ほら濡れたじゃんー!)
というような感じで使います。