2014-01-31

『舞踏会へ向かう三人の農夫』 リチャード・パワーズ ★5

2007/06/11
舞踏会へ向かう三人の農夫


表紙で三人の人がこっちを見ているので試しに中身をパラパラめくったら面白そうだったから手に取った『舞踏会へ向かう三人の農夫』、リチャード・パワーズ著。

少し読んでいくうちに「おおーこれはもしやピンチョン的な感じか!」と思ったんだけど違う方向で面白い本だった。
仕掛け絵本を覗くような気にさせてくれる本。

物語には近代の発明品がいろいろ登場する。
この本も本質的にそういった機械と同じつくりだ。
エピソードを部品がわりにそれぞれきちんと配置し、最後にはその効果を果たすものが出来上がっている。
つまり3人の物語を重ね、時代を立体視できる「20世紀の透視装置」。

その効果がだんだん現れてくる過程も面白いんだけど、ひとつひとつの部品についても「ああかなーこうかなー」と考えることがあってすごく面白い。

たとえば機械複製の話だとか、“無くなることで存在がより強調される”、車が誕生してからの移動時間の話、ヘンリー・フォードの平和船、戦場カメラマン。

こういったエピソードの数々は、何度も頭の中で反芻してその考え方を味わったり、自分が知っていることとの関連を探ったり、そうしたきっかけを作ってくれる。

そんなわけで全体的にものはたっぷり詰まっているが、意外にも印象はさらっとしたもの。
やり過ぎずに効果を出す、適切な分量がわかってる人っぽい。


そしてちょっと感傷的になるけど、人と離れ離れになったら誰が今どうしてるかってわからないなあと思った。
今は携帯があるけど、それでもやっぱり。

その人がもう死んでても、それを知らないから「あいつのことだから適当に楽しくやってるんだろ」って当たり前みたいに考えちゃうんだな。

もういないのに。

でもそれを悲しいと思うのは、自分がその事を見通せる側にいるからなんだろう。


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2014-01-28

『紙の民』 補足2

屋根



明日、きみの屋根を壊してみせる。



p140、土星
明日、きみの屋根を壊してみせる。
きみの台所の椅子はまだ頑丈なのに、僕の椅子のほうはおがくずの山になってしまった。スプーンが塵になってしまって、クローゼットのなかは土だらけ、着た服が糸になってしまうという思いを、きみにもしてほしい。きみのすべてが壊れて、ばらばらになること。きみが触れるものすべて。窓の下枠、きみのドアに続く階段、すべてが崩壊してしまうこと。そしてきみが彼に触れると、彼の骨は折れて、破片が脾臓に入って、肺にも入って、骨盤の骨もぽっきり折れて、漏れる血は錆びつく。彼が腐り、朽ち、消えていくこと。
 

今読むと、
「明日、きみの屋根を壊してみせる」っていう文章は、
この本の最後で土星の身に起きたこと(=彼自身が起こしたこと)なんだね。

それはどういうことかっていうと、
その後に書いてある通り、
「きみのすべてが壊れて、ばらばらになること」。

だとしたら、土星は最後に
「すべてが壊れて、ばらばらになってしまった」。

そういうことだよね。

でも、ページの外へ行こうとする父娘がいる。
彼らは、屋根の下から外へ出た。
崩壊した世界から外へ。


それを新しい出発だと、私は捉えたいなあ。

フェデリコ・デ・ラ・フェが土を掘り返し、
ふわふわにし、芝生を調整し、
彼女はおろか誰も…

「自分も」傷つかないようにした芝生を通って。


うむ…
このことを考えてると、また涙目になってるんだけどね。
なんで涙が出るんだ?


うーん…

たぶん、彼女を失ったっていうことの喪失感。
そしてそれを乗り越えるということ。
その純粋な気持ちに共感してるのかもしれないなあ…




土星とハンバート・ハンバート




「きみのすべてが、壊れてばらばらになること。」



このフレーズは快い。
ふとすると口ずさんで浸りそうになる。

私は上で引用した部分について、
「こういう気持ち悪さ、嫌いじゃない」と書いた。 >読書メモ

自分にこんなに辛い思いをさせる彼女にも、
同じ痛みを思い知らせてやりたい。

そういう気持ちは自分にもわかるからだ。
ただ、浸りすぎるのはよくない。
これじゃあまるでハンバート・ハンバートさんじゃないか。



ハンバート・ハンバートさんというのは、
『ロリータ』の主人公であり、
外国文学気持ち悪い男選手権
いまのところぶっちぎりで第1位の人物である。 >『ロリータ』感想

前にも書いたけど、
ロリコンだから気持ち悪いんじゃあないのだよ。

彼の場合、
「世間的に罪とされる幼女好きである罪悪感に苛まれる自分が好き」
って感じだからなあ。

土星はさ、ちょっとやけになる所があるとはいえ、
書いてることは自罰的なんだよね。

そこが大きく異なるよなあ。

ハンバートも悲しい男というのは、理解するけれど。


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2014-01-25

『紙の民』 補足

前に書いた読書メモはこちら: 『紙の民』 サルバドール・プラセンシア




今朝Twitterで、本に挟まっているしおりの紐についての話題がありまして。



その流れでこんなツイートが(selvaさんthx!):

柱…はしら…!!!

補足するとp262。
このページの右上端には柱…「第27章」と書かれた柱があり、
その左にはという記号が書かれてる。
土星はそのすぐ下に位置取り、テキストを綴る。

p272のこと。
複数のカラムは土星のテキストに押しつぶされ、他の登場人物はいなくなった。
だから、屋根が落ちる前兆として…


内容と本のつくりとが合わさって効果を生んでるんだよ!?
立体構造だよ!?
この本、飛び出してくるんだけど!

えーーこれすごくない?すごいんだけど。すごい。
感動してなんかギャル化しちゃったよ。


ちょっとまてよ…

今27章の柱と記号見てて、
この記号、ヒビが入った柱の例えになってんじゃないかって考えてたんだが。

他の章の記号を見ると、本の右上に章題がきてる場合は必ずの記号なんだね。
…ってことはだよ!?


これは、屋根(本の"天")を支える、まさに柱ということじゃないか!

で、それが最後に崩されたと。
ほほう、ほう、ほう!

うわああああ、面白いなあ~。
ほんとに面白い、こういうの自分で気づくと。

他の記号にも何か意味があるかもしれないなあ!

わたくし、いま目がキラキラしております。



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2014-01-24

『紙の民』 プラセンシア★5

紙の民

本にも運命を感じる時がある。
『紙の民』は、こういう本に出会いたくて私は読書をしているのだと気付かされた一冊。




第1部

人々は悲しみの膜で覆われている。表紙のように、淡い青色の。
号泣するような激しい情動ではなく、そっと、優しく日常に付き添う悲しみ。
ささやかに紙で指を切られるように。

ところが主人公のひとり、フェデリコ・デ・ラ・フェはこう言う。
上空から土星が我々を監視していて、その悲しみを商品化していると。 p58

だから人々は、悲しみから逃れることができない。
自由意志のために、土星に宣戦布告するフェデリコ・デ・ラ・フェ。


- ネタバレあり。 -

2014-01-20

『デス博士の島その他の物語』 ジーン・ウルフ ★4

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

2007年のメモ。

まえがき(限定本に収められたもの)

娘のテレーズの詩 (p6-7)
ネビュラ賞授賞式での出来事
「島の博士の死」(p9-18) → あとがき「特別な贈り物」


デス博士の島その他の物語

  • 「きみ」が主語(二人称現在)だから、自分が物語の中に入った感じがする。
    例えばランサム船長とタッキーが握手をかわす部分。
    ぐん!と自分の背が伸びたような気持ちに。
  • 主人公の名前を紹介する手法がすごくいい。
  • 「スポットライト」
    光の当たるところと当たらないところのイメージが浮かぶ。
    物語は人生のある部分だけが抽出され、語られるもの。
    物語である『デス博士の島』と同様、タッキーの話もそういう書かれ方。
    「ショウを演じる」 → パーティー?
  • 『島』から抜け出た人物たちは周りにも見えている節があるので、
    そのままに受け取る。
    その前の接触も特にタッキーの妄想として読んではいなかった。
    現実と地続きの文だったため。
    タッキーの住む島も陸と地続き。
  • 「きみだって同じなんだよ」
    『デス博士の島』にも、タッキーの物語を含む『その他の物語』にも、
    結末はやってくる。だけど、本をまた読み直せば、みんな帰ってくる。

    『デス博士の島』という物語、
    『デス博士の島』を読むタッキー、
    そのタッキーの物語を読む私。
    入れ子状のつくり。

    そして、それぞれのレベルは相互に干渉しながらも、閉じられている
    (物語には終わりがある。そして、この作品から受ける孤独感によってそう感じる)。

    もし物語の中を生きているとしたら、
    人はその中を生きることしかできないが、
    誰かまたページを開きなおして会いに来てくれる人がいるかもしれない。
  • 世界が閉じていることだけに目を向けると悲しみしか感じないけれど、
    下のレポにある「読書の力を書いた小説」というのは、その通りだと感じた。
    END_OF_SCAN:デス博士トークショーレポ


アイランド博士の死


つらい。
物語の最後で自分も主人公と同じように閉じ込められて、
もう出られない感覚が強く残った。

前の作品では、
主人公の見る世界は『デス博士の島』から影響を受けるが、
この話では主人公たちの感情が島に影響を与える…
そういう相関性が、いろんなところではたらいているらしい。

再読して考えたいが心痛でしばらく読めそうにない。

上記トークショーで、「癒しの物語」という話題が出ているが、
これもまだ私にはわからなかった。

芭蕉の俳句 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno28.htm#ku2

「死の島の博士」にも閉塞感はあったが、
脱出を狙う野心がみえたので「アイランド博士の死」の読後感よりは気分が楽だった。


アメリカの七夜

魅惑的。
この読み物には仕掛けがあると教えてくれているので、
たしかにわかりやすい。
次に悩みながら読むのが面白そうだ。


眼閃の奇蹟

ボロ泣きする。
最後がこの物語で良かった。
リトル・ティブの夢?から現れるキャラクター → 「デス博士の島その他の物語」


memo: 「入れ子」→ アクロイド『原初の光』冒頭、ケプラー



関連リンク

syzygy note:トークショーレポ
柳下日記 2006/02 リンク切れ(癒やしについての補足があった)
ジーン・ウルフ勝手に広報部 リンク切れ
『乱視読者のSF講義』


2014-01-14

『恐怖の兜』 その2

前の感想を読み直してたんだが… >『恐怖の兜』 ヴィクトル・ペレーヴィン

この時私は、
「でもその時点で「大きな存在の中のA」になってるわけだから、
その「大きな存在」が意識できれば解脱になるんだろうか。」

と言ってるんだけど、ちょっと補足がいるかも。

「大きな存在がいる」、そういう仕組みになっていると理解することは、
解脱の手段としては必要なことかもしれないが、

解脱
=恐怖の兜に囚われずに済む状態
=認識されずに済む状態
=存在を消す

ということで、解脱自体は「大きな存在が意識できるかどうか」じゃなくて、
「消える」という行為に還元される。と思う。



「みんながミノタウロスになる」部分についても、
もっとうまい説明がありそうな気がするんだけど、本を読み直さないとちょっとよくわからない。

読んですぐの時は「あっ、わかった!?」って思ったことなんだけど、
時間経つと忘れてしまうね。

頭の中から消える……解脱してるのか?



関連




『探偵ガリレオ』 東野圭吾 ★3

探偵ガリレオ (文春文庫)



短編集。文章も読みやすく、すぐに読み終わった。

ドラマを少し見ていたのだが、
眉上で切りそろえた前髪だったり、
友人草薙との気がおけない会話だったり、
決め台詞を言うでもなく淡々と解説を加えていく湯川の雰囲気が、
原作と結構ちがうよなーと思っていたら、
モデルは佐野史郎さんらしい。

5つの話が入っているが、「壊死る」「爆ぜる」では、
人の殺し方って創意工夫を凝らせば無限大だなと、
ちょっと怖い感慨を持ってしまった。

面白かったので続きもいずれ読む予定。


2014-01-02

あっ、そうだ。

肝心なことを忘れていた。

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。