ひさしぶりに再読。
あらすじは映画版のwikiにも詳しく載っているが、一部異なる。
EDは全然違う。
はじまり
完璧な人生を送る主人公「ぼく」はひどい不眠症に悩んでいる。不眠症で死ぬ人間はいない、真の苦痛を実感したいなら行ってみるといい、
という医者をきっかけに、病を装い難病やガンと闘う互助グループをはしご。
精巣ガン患者のボブの告白と抱擁を受け、
自由……「すべての希望を失うこと」を感じ、初めて安眠する。
だがマーラ・シンガーという女が、互助グループを似た理由ではしご。
いちいち顔を合わせる事態に。
「仮病」と言いたげな目。安らぐ場所は消え、不眠症再発。
仕事柄出張が多く、
飛行機の中に詰められては「このまま墜ちてくれ」と祈る主人公だったが、
ある日自宅が爆発。
買い揃えたセンスのいい家具も木っ端微塵。
主人公は休暇中に出会った不思議な男、タイラーに助けを求める。
決してぼくが完全になる日が来ませんように。
決して満足する日が来ませんように。
救い出してくれ、タイラー。完璧で完全な人生から。
わかった、俺の家に来るといい。だが一つ頼みがある。
タイラーはこう言う。
「力いっぱい俺を殴ってくれ」
感想
1999年に映画公開だというから、15年は経ってるのかー。これだけ経っても楽しめる本だった。
「当時はここでこう思ってたっけなー」なんて、考え方も微妙に変わるもんだ。
「星空を見上げれば自分は消える」 自己滅却。
共感できる部分のひとつだけど、彼が辿った軌跡を見ると良いのやら悪いのやら。
自己滅却といえば、主人公の名前が分からないんだなあ小説は(映画も?)。
一人称視点だし、マーラも呼んでないのか。
ぼくは名前ではない。死んで初めて名前をもらう。
これもファイト・クラブの流儀。
カットインの手法を多用しているのも特徴。
一人称視点なのもあって、眼前で切り替わるシーンに脳が急には反応できず、
あるいは二重写しの効果も生み、それがまた楽しい。
タイラーの職業、映写技師がモチーフなのかもしれない。
(シーンを切ったり貼ったり)
当時はたぶん考えなかったと思うけど、
タイラーの教義はテロリストの思考そのものだなあ。
マッチョな考え方って若い時に知るとハマりそうで怖いよ。
ニーチェの超人っていう考え方も、10代で知ってなくて良かったなーと思った。
力を持つ言葉には寄りかかりたくなる時がある。
裏を返せばそれだけ魅力があるということで、
その魅力を書くことができているこの小説はすごい。
wikiを見ると、パラニュークはジェネレーションXの代表的作家としても見られる、とのこと。
ジェネレーションXというと『アメリカン・サイコ』が真っ先に思い浮かぶけど、なるほど同質。
※以下ネタバレあり。
ファイトシーン
この小説は、ファイトシーンの描写も個性があって面白い。すごく、ものすごく痛そう。
特に最後の方の、タイラーを殺すためにわざとボッコボコにされて死のうとする場面。
やがてぼくの歯が頬を内側から突き破る。ナイトメア・ビフォア・クリスマスのジャックみたいになっとる。
やがてぼくの頬の穴がぼくの口角と出会い、手を結んで/醜いぎざぎざの流し目を形作る。 p230
次のパンチでぼくの歯が舌を挟んで噛み合う。ぼくの舌の半分が床に落ち、蹴られて飛んで行く。ぐああ。舌噛み切っちゃったのか……。
こういう描写が、
タイラーの殺した被害者、広がっていく血だまりとともに平行して描かれ、
二重写しの血だまり、悲鳴、喧騒となって流れていく。
非常にうまい効果だなあ。
/=中略
流れ
不眠症 → 互助グループに通う → マーラと出会う → 不眠症再発、タイラーと出会う→ 家爆発、引越 → ファイトクラブ創設 → 脅しで資金獲得
→ 広がるクラブ、エスカレートする悪戯と暴力 → ボス爆発
→ タイラーたちを止めようとして玉を取られそうに。警察もスペースモンキー
→ マーラ、タイラーが殺人するところを目撃
→ ビル崩壊、タイラーを殺すために自分を撃つ
→ 地下(病院?)、ファイトクラブは終わってない
引用
コピーのコピーのコピー p17こんな景色を見たことがある。
「あたしが好きなのはね、/誰かに熱烈に愛されたあと、一時間か一日後にぽいと捨てられたもの。/クリスマスが過ぎたとたん、飾り物をつけたままハイウェイに転がる使用済みのクリスマスツリー。そういうツリーを見ると、車に轢かれた動物や、下着を裏返しに履いて黒い絶縁テープで縛られた性犯罪の被害者を思い出す。 p73スカートの中でマーラの尻が舞う、の表現もいい。
タイラーが何をしたか悟ったのは、マーラとともにキッチンに立っていたまさにその瞬間だった。こわいシーン。
しわくちゃになった。
マーラの母親にチョコレートを送った理由も。
助けて。
ぼくは言う。マーラ、冷凍庫をのぞかないほうがいい。
マーラが言う。「どうして?」 p101
ぼくは言う。これを書いたのはどうやらかなり危険な精神異常の殺人者のようだし、/その男は十中八九、毎晩家に帰ると、小さな丸やすりを手に、弾の先端に一発残らず十文字の切れ目を入れているでしょう。/切れ目を入れておけば、ある朝出勤し、口うるさく無能で料簡が狭く、愚痴ばかり言う嫌われ者で意気地なしのボスに一発ぶちこんだとき、その弾丸がやすりで刻んだ溝に沿って割れ、ダムダム弾みたいに体内で花開き、悪臭漂う胴一杯の内臓を背骨ごとぶちまけてくれるでしょうから。/内臓のチャクラが花開く様を想像するといいですね。 p108コピー機に置き忘れたファイトクラブ条項の紙をボスに発見され、突きつけられる場面。
それに対し「ぼく」は淡々と脅しで反撃。
内臓のチャクラが花開く。かっこいい。
愛しい人について知らないほうがいいことは数えきれない。屍体愛好者。
/ぼくは〈アビーの人生相談〉で読んだ話をする。羽振りのいいハンサムな葬儀屋と結婚した女がいる。結婚初夜、夫はバスタブに氷水を張り、/冷えるまで入れと命じ、次にベッドに横たわって絶対に動くなと命令してから、冷たい不動の妻と交わった。
笑えるのは、その女は/十年それを続けたあげく、いまごろになってアビーに手紙を書いたことだ。アビー、これには何か意味があるのでしょうか? p118
ぼくが互助グループをいたく気に入っているのはこういうわけだ。相手が死を目前にしていると思えば、人は全神経を注ぐ。 p119しかし、最後のマーラと主人公のやり取り……
殺した殺される、誰が誰を愛してる、のくだりには、逆に彼らの方が興味津々だった模様。
ぼくは自分の人生が気に入っていました。/家具の一つ一つが気に入っていました。あれがぼくの人生だったんです。すべてが、ランプが、椅子が、敷物がぼくだった。食器棚の皿がぼくだった。観葉植物がぼくだった。テレビがぼくだった。吹き飛んだのはぼく自身なんです。わかってもらえませんか? p123「完璧な人生をふっ飛ばしてくれ」
本人が望んだこと。
過去数千年をかけて人類はこの惑星を痛めつけ、/崩壊させてきたというのに、いまごろになって歴史はぼくに全人類の尻拭いを押し付けてくる。スープの空き缶は洗って潰さなければならない。汚れたエンジンオイルは一滴たりとも無責任に垂れ流してはならない。 p139次作『サバイバー』の主人公を思い出した。
p160
タイラーのドグマ、動機の描写。
父親探しと神探し。敵か無かの二択。
描写が魅力的。筆力がなければ陳腐なものになってしまうと思う。
レイモンド・K・K・ハッセル君、君の夕食は生まれてこの方とった食事のどれよりも美味いことだろう。そして明日はきみのこれまでの人生でもっとも美しい夜明けが訪れるだろう。 p177通行人を銃で脅し、死ぬか夢に生きるか選択させる場面。
こちら側と向こう側の隔たりを感じる。
主人公はもう選ぶことさえできず、自分が言うところの物体……死者になっているような気がする。