2015-02-04

『ゴーン・ガール(下)』 ギリアン・フリン ★4

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)


※ネタバレあり。







読書中胃痛が収まらず、何割かはこの本のせいなんじゃないかと思うほど嫌な味……けど面白かった!
文章も読みやすいし、この人物心理の考察は悩ましくも癖になりそうだ。
読み終わってみると、映画がいかに絵的に面白くできているか、内容をコンパクトにまとめているかがわかる。脚本が著者自身なので納得だが。

ラストシーンを再考したが、ニックの言葉はやはり皮肉なんだと思う。
エイミーが夫に憎しみをもったきっかけでもあり、元に戻ったきっかけでもある願望「本当の私を見て」。
彼女は幸福に最後を迎えるけれど、そこにいるのは「本当の私」なのかどうか?
少なくとも私にはそうは思えなかったが、彼女がそれを認めることは、もう一生ないんだろう。



映画との主な違い


大筋は一緒。
映画版はより視覚に訴えるシーンに変わっている。

  • エイミーの両親のイメージ。
    映画:威圧的な母親と空気の父親。
    原作:ふたりは「ソウルメイト」、いつでも一緒。父親の出番が多い。
  • ニックの「本気のサイン」p256
    割れたアゴに手を置くあれ。
    映画では印象付けるためか何度も使われていたが、原作は意外と少ない。
    (2箇所かな?うろ。)
  • 【原作】 学生時代の、エイミーの女ストーカー。p139
    映画には登場しない。
  • 【原作】エイミーの死んだ姉たち。p12
    映画には登場しない。
  • 【原作】ブロガーインタビュー p154
    映画には登場しない。
    ニックは明確にエイミーを呼び戻し、殺す気でいる。
  • 【原作】ニックの父親への憎悪。
    「クソ女クソ女クソ女」が口癖の父をニックは毛嫌いしている。
    だがエイミーへの怒りが募るにつれ、同じ言葉をつぶやくようになる。
    映画は細かい心情は描写なかったと思う。
  • 【映画】エイミー、隠遁中に金を取られ雄叫び。
    原作では雄叫びはない。
  • 【映画】エイミー、監視カメラ前でレイプアピール。
    原作にはなし。代わりに、「ワインの壜で毎日中を傷つけた」とニックに言う。p323
    こわすぎるだろ…
  • 【映画】血みどろでデジー殺害。
    原作では、デジーに睡眠薬を飲ませてシーン切り替わり。
    殺害シーンはニックの想像として存在。
  • 妻帰還、夫と感動の抱擁。
    映画:前庭で劇的な抱擁。
    原作:家の中に妻が逃げ込んでくる。
    取材陣へのアピール度は庭のが高い。
  • エイミーの事情聴取。
    映画:複数の刑事が車椅子の彼女を囲む。
    原作:署の狭い一室で、4:1。
    どちらでもボニー(女刑事)はやり込められるが、映画はやはり絵が生きるシチュエーションを使っている。ボニーは小説だと出番少ない。
  • ラスト。
    映画:TVインタビュー。妻が妊娠したと報告。
    原作:出産予定日前の仲睦まじい…様子。夫の意味深な言葉。
+ニックがとうとう弁護士を呼ぶシーンも映画の方が衝撃的。



私は特別!


映画の感想で、私は「エイミーがニックのもとに戻ったのは、彼だけが“完璧な私”でいさせてくれるから」と言ったが、原作にはより客観的な答えがあった。

彼女のことを一番わかっているニック君によれば、

「エイミーは負けず嫌いなんだ。ぼくが浮気したことよりも、自分以外の誰かが選ばれたことのほうに腹を立てているはずだ。自分が勝者だと証明するために、ぼくを取り戻したがると思う。違うかい?戻ってきてくれたらきみを大事にする、と訴えるぼくを見たら、我慢できっこない。そう思わないか」 p264

そう。エイミーはなんでも一番じゃなきゃ気が済まないのだった。

  • 母が5回の流産と2回の死産の末にエイミーを産み、その後子どもを産めない体になったことに、ぞくぞくするほど喜びを感じたのも、 p14
  • ニックと出会い、「愛は競争じゃない。でも、誰よりも幸せになれないなら、一緒にいる意味がない」と思うのも、 p19
  • 当時気の合った男が自分を放ったらかしにして他の女と会ってると知って、レイプ魔に仕立てあげたのも、 p116
  • 学生時代、自分を出し抜いた女の子を腹いせにストーカーに仕立てあげたのも、 p140
  • ニックの浮気を知り、夫を死刑にした後自殺しようと考えたのも、p36

私が一番、私だけ特別じゃないと気が済まないから。
自殺しようとしたのは、死んだ7人の姉(何一つ努力せず完璧でいられる)のことも頭にあったのかもしれない。 p14, 36

映画のエイミーは隠遁中以外、得体の知れない超然とした雰囲気を漂わせていたが、原作は幼稚さが目についた。
アベンジング・エイミー p103 ……うーん、関わりたくない。

  • 一番になれなかったらタチの悪い復讐をする。
  • 「割り込んできたトラックのナンバーを覚え、会社に二ヶ月にわたって嘘の通報を4回、クビにしようとした p73」
  • 「わたしのために男(ニックとデジー)が戦ってくれるのが夢だった p210」



エイミーと両親


ニックと一緒に娘を探す両親の必死な姿は、一見問題を抱えているようには見えない。
本気でエイミーを心配しているし、愛していることがわかる。
だけどエイミーは両親をすごく憎んでいる。

(/=略)

両親は昔から、わたしが『エイミー』本のことを気にしすぎなのではと気を揉んでいた。/でも、わたしがなにか失敗をしでかすたびに、本のなかのエイミーは/それをうまくやってのける。/昔はそれが嫌でたまらなかったけれど、ハーヴァードに進んでからは(エイミーのほうは、正しく両親の母校に入学した)、思い悩むのがばかばかしくなった。両親はふたりとも児童心理学者なのに、/自分の子どもに受動的攻撃を加えている。そんなの/まともじゃないんだから、笑いとばせばいいのだ。
p58、日記

映画にも登場した、絵本の「完璧なエイミー」。
日記なので真偽の境がわからないが、「笑いとばせばいい」というのは嘘なのだろう。

ニックと会うまで、わたしは自分がひとりの人間だと心から感じたことがなかった。ずっと作り物だったから。アメージング・エイミーは/幸せでなければならない。「幸せでいてね」と両親はいつも言うけれど、その方法を説明してはくれなかった。 p19

両親はエイミーから見て「心の底から幸せな夫婦 p56」。
幸せになる方法がわからない自分が、幸せな二人を間近で見ているというのは、どんな心境だったろう。
「作り物」=相手に合わせ人格を変えて生きてきたエイミーはこう言う:

(ニュースに登場する両親について)あれほど特別扱いされているのは気に入らない。/ふたりにとって、わたしはシンボルでしか、歩く理想でしかなかったのだから。ひとりっ子は理不尽な責任を負わされて育つ/。そのせいで、必死に完璧を目指すようになり、一方で自分の力に酔いしれるようにもなる。独裁者もそんなふうにして育つ。 p83

『アメージング・エイミー』は子どもたちのお手本になるよう書かれた児童書。
行動に「正解」を用意する両親。
正解通りじゃないと、「完璧」じゃない。

両親は、エイミーが『アメージング・エイミー』のように素晴らしい子になる期待をかけ、エイミーはそれに応えて「作り物の自分」になってしまった(過保護、とエイミーは言うp260)
両親でさえ、彼女の本当の姿を見てあげることはできなかった。

もちろん両親が心配することになる。でも、私をこんな風に育てておいて、あっさり見捨てたふたりに、申し訳なさなんてない。わたしという存在があったからこそお金を儲けられたということ/ろくに理解してない。おまけに、ニックがわたしを/ミズーリに運び去るのを黙認した。ふたりにはわたしが死んだものと思わせておけばいい。死ねと言ったも同然なのだから。 p44

めちゃくちゃ恨んでますね~。

気になるのは小説のラスト。p370
穿ち過ぎかもしれないが、ニックの返答について「こう返してくれるはずだった」とエイミーは言う。

正解を求める彼女は、両親にそっくりなのでは?
じゃあ彼女の求める通りに行動するニックは、昔のエイミーなのだろうか…。



本当の自分を見てほしい


上巻でニックも言うが、それは夫婦共通の望みだった。

エイミーは最初「男にとっていい女」を演じてニックと付き合い、幸せな時を過ごす。
だけどやがて本物の自分の方がずっと素敵だと気づいた。
だがニックは、「いい女」の自分の方が好きだった。

想像してもらえるだろうか。ソウルメイトに、ようやく本物の自分をさらけだしてみたら、気に入らないと言われたときの気持ちを。そのとき、憎しみが生まれた。/それがはじまりだったといまは思う。 p21

その後浮気を目撃、本格的に憎むようになる。
しかしデジーの別荘でニックのインタビューを見て、

ニックはわたしを変えようとはしなかった。デジーのように、わたしの望むもの/を与えることで、自分の望むもの(わたしの愛)を強要したりはしなかった。/
ニックとわたしは絶妙な組み合わせだ。/わたしは両親の過保護にいらだったイバラの茂みで、ニックは父親から受けた小さな刺し傷で満身創痍。そしてわたしの棘はその傷にぴったりとはまる。 p260

ニックの元に戻ろうと決意。

「エイミー、なんだって戻ってきたんだ」
「それが望みだったんでしょ?動画でもそう言ってたじゃない」
「きみが言ってほしそうなことを言ったまでさ」
「そう――わたしのこと、あんなにわかってくれてるってことでしょ!」

「考えてみて、ニック。わたしたち、お互いを知り尽くしてるじゃない。世界中の誰よりも」
p317 一部略

彼女が戻ったのは、「私こそが勝者!」の心理も働いてるんだろうし、私の映画の感想「彼だけが“完璧な私”でいさせてくれるから」も、そう的外れじゃないように思う。

彼女に言わせれば、自分はもとより完璧であって当然なので、「彼だけが本当の私をわかってくれてるから」と言い直す必要があるかもしれないが。


自分を死刑に追いやり、殺人まで犯したエイミーをニックは受け入れられない(そりゃそうだ)。
エイミーはニックを繋ぎとめるため、バンクに預けていた精子を使って妊娠。

ニックは何をやらかすかわからない女と一緒に暮らす不安から、皮肉にも彼女に興味をもち、彼女のことを考え続ける「理想の夫」になった。
そして息子を守るため、自分は父のような人間でないと証明するため、エイミーの意に沿って家庭を築くことを決心する。 p151, 334, 367

ラストシーンのニックは意味深だ。

「ねえニック、なぜそんなに大事にしてくれるの」
「きみが気の毒だからさ」
「どうして?」
「毎朝目を覚ますたびに、きみにならなきゃならないから」 p370

きみにならなきゃならないから。

本当の自分でいるつもりで、やっぱりきみは「作り物」になってるじゃないか。
そう言ってるように感じて、ドキッとした。

ここでズレがあることに気づく。
「本当の自分を見てほしい」は夫婦共通の悩みだが、その意味するところは違うものだ。
ニックの「本当の自分」は素の自分のことだけど、エイミーの「本当の自分」は、自分が理想とする自分のことだもんね。

私から見れば、結局ふたりとも「理想の自分」を演じて過ごすEND。
エイミーは、ニックや読者から見て「作り物」で満足している……。
皮肉なラストシーンだと思う。



ネット社会


世相を反映。
現代物のミステリを読まないので、新鮮だった。

  • ニックとエイミーが職(記者・心理テスト作成者)を失ったのは、ネット記事の台頭のせい。
  • ブロガーにインタビューを受ける
  • 死体を川に流す方法を検索し履歴を残しておく
  • SNSの評判、ニックのツーショット写真で炎上
  • エイミーはアンディの監視にFacebookを利用


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ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)


感想


映画は他人事と思って観れたのに、小説は自分にも当てはまる所を見つけてしまった。
あーあ、なんてこった。

日記の最初に登場する、好奇心旺盛で奇抜な妄想が好きなエイミーは私と似てる。
さらに読み進め、いい女であろうと色々我慢する記述には同情心が芽生えた。
「もっと素直に感情出したっていいのに……でもこの部分は私とは似てないな」

自分と似てる/似てない、の軸で読んでる時点でやばい。

案の定、夫婦間の問題が顔を出すにつれ、「魅力的に思ってるものが色褪せる時が、自分にもやって来るのだろうか。だんだん石みたいな人間になってくのかなー」と、考え込んでしまった。
やるせなくなった。

日記の真偽は定かでないし、先の事は何もわからないのだから、落ち込む必要もない。
のに、囚われる。
こういうとこがほんと「イヤミス」だな~と思う。 ※嫌な気分になるミステリ


後半は二人の話に明らかな矛盾点が。
特に「夫/妻がセックスを拒否」、「夫/妻が子どもを望まない」
どちらかが完全に嘘つき。

ただ、セックスに関してここで私がニックを信用してしまうのは、p287のみじめさが、嘘では出せないだろうから。
家で避けられ、ふたりでいる時も間をクッションで仕切られ、会話もなく、もちろんセックスも拒否された状態で、

眠っているエイミーの肩紐を少しだけずらし、むきだしの肩に頬と手のひらを押しつけた。情けない思いでいっぱいになり、それきり寝つけなかった。ベッドを抜けだすと、シャワーのなかでマスターベーションをした。
ことを終えると、ぼくはバスタブのなかにうずくまり、水飛沫を浴びながら排水口を眺めた。ペニスは岸に打ち寄せられた小動物のようなみじめな姿で、左の太腿の上に垂れ下がっていた。打ちひしがれたぼくは、バスタブの底で涙をこらえた。

こういう、絶対口外したくないタイプの情けなさを、読者だけにとはいえ吐露してるニックの気持ちを考えると、切なすぎてなあ……。



町の荒廃


小説では、ニック達が住む「ノース・カーセッジ」の荒廃ぶりも印象的だった。
廃墟となったモールは実在するんだろうか?

映画版ロケ地の紹介ページがあったので貼っとく:
seMissourian.com: Local News: A guide to North Carthage: 18 'Gone Girl' movie filming locations in the Cape Girardeau region (09/30/14)



双子の関係

映画の感想でニックとマーゴがデキてると見かけたので。
一応小説版はp46、早々にこうある:

きみはマーゴとは違うから、誤解するかもしれない。だから言っておこう。妹とぼくは一度たりともヤッたことはないし、そんなこと考えたこともない。ほんとうに仲がいいだけだ。

映画がこれを踏襲してるかわからないけど、小説だとそうらしい。
ただし肉体関係はないとしても、心を許せる肉親であり、その愛情は深い。
エイミーとマーゴは互いにジレンマを抱えていた描写がある。



ほか、映画との違いは(下)の感想へつづく。



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