2015-10-15

『黒猫』ポー★4

猫にひでえことするな……かわいそうだろう、ほんとに……

昔の作品だと思ってたら、最後の劇的効果に驚かされた。
死体が眼前にすっくと立つ恐ろしさ。

構図は『告げ口心臓』と同じで、「本能に従う自分(語り手)」と「社会に従う自分(良心)」が対立。
語り手は後者を抑圧するが、代わりに周囲に投影され、警告を送ってくる。
それが黒猫に象徴される。

また、『告げ口心臓』の語り手が悪に無自覚なのに対し、『黒猫』の語り手は悪を悪と知っている。
『心臓』の語り手よりも、分離が進んでない状態?


天邪鬼


作品の重要な要素「天邪鬼」について。
うーん、難しい。

以下、
 a. 本能
 b. 良心
 c. それらを統合した自分
と単純化して書いてます。語り手は「本能」が強い「自分」。


「天邪鬼」が描かれる印象的シーンは次の2つ。

(1) 男が涙を流して黒猫を吊るす。
自分の魂を苦しめるからこそやる=天邪鬼

  • 社会道徳的に悪。
  • 「自分」と「良心」を追い詰める行為。
  • 「本能」が行わせる。

(2) 完全犯罪が成立、の時になぜかペラペラ喋り出し死体の入った煉瓦を叩く。
自分を破滅させる行為=天邪鬼

  • 社会道徳的に善。
  • 「自分」と「本能」を追い詰める行為。
  • 「良心」が言わせる。


で、罪の告白が「天邪鬼」だとしたら、

  • 「自分」を破滅させるからこそ行った。
  • =社会にとって善だからやるわけではない。
  • =自分が救われるからやるわけでもない。

ということで、『告げ口心臓』の最後に書いたことはちょっと違ったかなあ。
自白が結果的に自己救済につながったとしても、それはあくまで結果で、付随的なもの。
自白した理由は「自己破壊の衝動に駆られたから」、それのみ。

ポーの『天邪鬼』という作品に出てくる説明だと、「それ以上分析も分解もできない衝動」というから、やはりそういうことなんだと思う。

だとすると、やっぱり「良心」と呼ぶのは憚られるなあ……。
だって自分を破滅させようとしてるのに、「良い心」かあ?
納得いかないんだよなあ。
だいたい「本能」も「良心」も、「自分」だけど、善悪の基準違うし。

ヒートアップしてきたとこでWikiを読んだら、英語では「良い」という意味を含まないらしく、訳の関係もあるのかもしれない?ふーむ。
Wikipedia - 良心



しかし『ウィリアム・ウィルソン』を読むと、この自己破壊衝動のあまりの強さに驚く……。
あまりに悲劇的で理解が難しい……。
『天邪鬼』の感想と合わせて、話はつづく。



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