2015-10-19

『ウィリアム・ウィルソン』『天邪鬼』ポー

ようやく、個人的にずっと悩んでた謎が解けたー!
とりあえずポーの良心シリーズはここまで。


『ウィリアム・ウィルソン』★5

『告げ口心臓』『黒猫』と読んできて、もうからくりを知っているのに泣けてしまった……。
主人公が悪に走る理由もまた、それを悪と知ってるから……「天邪鬼」だろうか。

しかし、最後もう一人の自分を殺すまでに至った(ネタバレ)、その衝動のあまりの強さに、「なぜ……」と言うしかできない。あまりに悲惨だ……。

この話を読んでから、「自己破壊衝動(天邪鬼)」とは一体なんなんだ!?という強い思いがわいてきて、『黒猫』でもその文章が長くなってしまった。

知人ウィルソンは「数えきれないほど区画がある古い家の小さな隅、戸棚のような部屋」に押し込められているが、これは心のなかで「社会的自分(良心)が押し込められている比喩?

参考





『天邪鬼』★3

これまでの流れ

『告げ口心臓』では
最後の自白は自己破壊と同時に救済行為でもある。

『黒猫』では
いや救済の面はあったとしても結果であって、それが目的じゃないはず。彼が自白したのは自己破壊衝動に駆られたから。もっと言えば、“良心”が自分を破滅させようとした。

という感じで進んできて、悪に染まっている語り手どころか、良心とやらもとてつもなく邪悪なんじゃないか、と考えるようになったところ。

もうなんか悪vs悪で、唯一のハッピーエンドは和解ENDのみ。でもどっちかが勝たないといけない話の時点で、バッドエンドしかなかったじゃないか、という感じだ。

まあ『告げ口心臓』『黒猫』『ウィリアム・ウィルソン』と複数の作品の印象を合わせてしまっているし、語り手を信用できるか?という問題もあるから、本当に天邪鬼だけが動機かは疑問の余地もありつつ……。

で、天邪鬼について一番作中で語ってる『天邪鬼』を読まねば!と思ったのでした。



理性の思い上がりを批判

読み始めてしばらく語り手の持論がつづく。
語り手自身もこう言う:「冗長かもしれないが、言わなきゃ私を狂ってるとでも思うだろ?私は天邪鬼の犠牲者なんだ」
ふーむ、狂人だと思われたくないのは『告げ口心臓』にも通じるなあ。

彼は人間理性の思い上がりを批判している。要点はこんな感じ。

  • 信仰を持たないから、超理性的性質をもつもの(=天邪鬼)の存在を認められない。
  • 役に立つものではないので、もし頭に浮かんでも理解できなかったろう。
  • まず「神の意図」を想像で設定し、それに沿って器官の性質を判断する骨相学はバカバカしい。
  • もし帰納法に従っていれば、天邪鬼の存在を認めただろう。

言ってることは理に叶っててなるほど、と思う。
探偵デュパンの『盗まれた手紙』も読んだけど、地の思考(ポーの思考)が理性的だよなあ。そっちでは、数学の定理を画一的に転用する愚かさを語ってた。
ポーは科学批判の詩も書いてたけれど、彼が批判してるのは理性じゃなくて、「それだけで全てがわかる」という傲慢さなんだと感じる。


あと当時の骨相学の扱いが気になって調べてみて、こんな記事に出会った。


最晩年には『ユリイカ』という科学の言葉を使った散文詩を書いたそうだけど、ケプラーと親和性がありそう。ケプラーの入れ子とか天球の音楽とか、好きなんだよね。



天邪鬼とはなんなのか!

頭がぐちゃぐちゃしたので日をおいて読み直したら、氷解した。いまわかった!
答えはこれだった!
明確なものと、なにかある漠然としたものと――実体と影と、――心の中の激しい両者の葛藤に、われわれは思わず慄然とするのだが、すでに葛藤がここまで来ていれば、勝利は影に決まっている

そうか、天邪鬼って「葛藤したときに必ず影が勝つ」ことなんだ。
「いや『黒猫』作中でも似たようなこと言ってたじゃん」と言われるかもしれないが、この表現じゃないとピンとこなかった……!

『黒猫』を例にとると、天邪鬼シーンは2カ所。そこでは語り手vs良心の葛藤が巻き起こり、そしてどちらも影(自分に悪影響を及ぼす方)が勝つ。

(1) 男が涙を流して黒猫を吊るす。
涙を流す良心に対し、「影」語り手が勝利。猫は殺される。

(2) 完全犯罪が成立、の時になぜかペラペラ喋り出し、死体の入った煉瓦を叩く。
利己心の塊だった語り手に対し、「影」良心が勝利。罪を自白。

ということはということは、「良心」は途中から影の役を担うのか……!
簡単に言うと善が悪に変身する。だから「良心」という、「良い」やつな癖に、あんな悲劇を巻き起こすんだ。

なるほど……。

じゃあこの物語、影が勝つ運命が決まってる時点でどうあがいてもバッドエンドだなあ……。悪vs悪うんぬん言ってたのもあながち間違いじゃなかったっぽい。


それともう一個、『天邪鬼』でも納得したことが。
この語り手は最初完全犯罪に酔いしれるが、だんだん頭を悩ませるようになり、「自分は大丈夫だ(捕まらないさ)」が口癖になる。
ある日、またそれを呟く自分にカッとして、「大丈夫だ――そうだ、人前で喋るなんて馬鹿さえしなければ」と言ってしまう。
そこから天邪鬼に取り憑かれ、気がつくとすごい剣幕で自白してしまっていた、という話。

この取り憑かれるシーンはかなり急な変わりようで、頭を悩ませるのは良心の働きかもしれないが、自白へ突き動かすのは何か別の衝動なんじゃないか?と思うくらいだった。
だけど良心がここから「影」に変化しているというなら、納得がいく。
語り手が雑踏の中必死に逃げようとしてたのは、この影からだったんだ!

だったら、これまで否定的だった「良心」という呼び方もうるさく言わなくていっか。
語り手も本能もどちらも「自分」だけど価値観が割れていて、なのに人は一方に「良い」と札を貼る。これが私にはひっかかってたんだけど、悪魔に変身することを思えば、むしろその呼び方のほうが皮肉で劇的だもんね。
もしかしてポーが狙ってたのはこれか?


ふーむ、飛躍しすぎかもだけど、これら良心が破滅をもたらす物語を「良い」のレッテル張りへの皮肉と考えると。ひとつの見方で全てを判断しようという、傲慢さの批判。
ポーが理性批判で見せた姿勢と、根底はつながっている気がする。




関連


  • 感想書いてたらポー短篇の「良心」と「天邪鬼」について考えることになったシリーズ。
    (1) 『告げ口心臓』★4
    (2) 『黒猫』★4
    (3) 『ウィリアム・ウィルソン』★5、『天邪鬼』★3 ここ

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