『アルンハイムの地所』ポー ★3
前回、乱歩『パノラマ島綺譚』の感想を書いたのだけれど、調べたら3つの作品に影響を受けているらしい。
どのへんが影響してるのかなーと思って、その3つを取り急ぎ読んできた。
まずはポーから。
さらに運命のいたずらが起き、祖先の莫大な財産を相続。
詩的な心を持つ彼は、新奇な美の創造に取りかかる。
彼は唯物主義のため、音楽家や詩人にはならなかった。
あるいは幸福原則のひとつ、「野心の蔑視」に忠実だったか。
彫刻(絵画も?)もまた、範囲や成果が限られていたので、惹かれなかった。
エリソンは「造園家を詩人に数えることはこれまでなかったが、これこそ新奇な美の創造にふさわしい領域だ」と考えた。
草木の様々な形や色、形象美に対する、自然の最も直接的でたくましい努力。
これを傾けること――地上で眺める者の眼に適応させることが、詩人の使命ばかりか、神が人間に詩的情操を与えた目的を果たす、最上の方法であり、最善の努力を払うことにもなる、と気づいていたのだ。
p528
……以降、芸術論がつづく。
造園は幸福の原則にも基づく。
このあと土地探しの旅の話(語り部もついて行ったらしい)。
そして、アルンハイムの風景描写に移る。
しかし、綺麗だなあ。
現実に近い景色なのだけど、清らかで瑞々しくて、例えば「天国」と言われて思い描くような、美しさがあった。
芸術論のそれぞれの箇所で言っていることを足してみると、地上の景色が不完全なのは死者のための準備だからで、その不完全さは、死者にとっては完全に見えるかもしれない、という話になる。
(手っ取り早く「死者」と言ったが、エリソンは「地の天使」という言葉を使っているので、おどろおどろしい感じじゃなく、そのようなイメージなのだと思う)
ということは、死者が見ている世界を、生者が眺めることができるように(死者が感じる完全と等しく、生者が完全と感じるように)創り上げたのが、このアルンハイムの地所。
つまるところ、「死後の世界」なのだろうか、と感じた。
理屈はともかく、こういう景色を眺めること自体が幸福な、素敵な短篇だった。
『アルンハイム』の続編とのこと。
主人公(アルンハイムの語り部)が旅の途中で道に迷い、秀でた色彩・構図の道を見つけ、辿ってゆく。
物語性はなく、末尾の言葉どおりと思える作品だった。
「わたしの見たままに、ランダー氏の住居の様子をつぶさに伝えるのがこの一篇の目的」
そのため、比較は特になし。
『アルンハイムの地所』は以下の作品に影響を与えているそうな。
どのへんが影響してるのかなーと思って、その3つを取り急ぎ読んできた。
まずはポーから。
アルンハイムの地所
『ポオ全集2』東京創元社 p523
あらすじ
主人公エリソンは容姿・頭脳・家柄・財産に恵まれ、幸福の原則に忠実に生き、ゆりかごから墓場まで栄華の風に吹かれて過ごした。さらに運命のいたずらが起き、祖先の莫大な財産を相続。
詩的な心を持つ彼は、新奇な美の創造に取りかかる。
彼は唯物主義のため、音楽家や詩人にはならなかった。
あるいは幸福原則のひとつ、「野心の蔑視」に忠実だったか。
彫刻(絵画も?)もまた、範囲や成果が限られていたので、惹かれなかった。
エリソンは「造園家を詩人に数えることはこれまでなかったが、これこそ新奇な美の創造にふさわしい領域だ」と考えた。
草木の様々な形や色、形象美に対する、自然の最も直接的でたくましい努力。
これを傾けること――地上で眺める者の眼に適応させることが、詩人の使命ばかりか、神が人間に詩的情操を与えた目的を果たす、最上の方法であり、最善の努力を払うことにもなる、と気づいていたのだ。
p528
……以降、芸術論がつづく。
- なぜ風景の配置だけ改善の余地があるか
自然の造形は至高のものだが、風景の配置だけは改善の余地がある。
語り部は、本来完璧なものが配置されるはずだったが、地質的変動でくじかれてしまった。
その混乱を静めるのが芸術の精神だ、と言う。
エリソンはそれを補足し、完璧な地上は不死なる人間のため設計されていた。
だが人間はそうならなかった。地上の混乱は、後になって考え出された「人間の死の状態」のための、準備(前兆)ではないか、と言う。
- 地の天使のために
我々が良い風景だと思っても、ただ人間的見地から見てそうなのかもしれない。
遠大な点から眺望できる存在、地の天使から見れば、混乱も秩序と思えるかもしれないのだ。両半球の広大な風景も、そういう存在のために配列されたのかもしれない。
(地の天使とは、霊魂のこと? かつて人間で、今はもう人間の眼から見えない。死に清められた存在)
- 自然派と人工派
エリソンは、造園術の二派について文章を引用する。
その後、自然派を否定し、人工派の項については「もっと大きな魅力が付与できるかもしれない」と言う。
そして、これから取りかかる自身の理想を語る。
「人間と神の中間を彷徨する天使のなせる業、第二の自然」
造園は幸福の原則にも基づく。
このあと土地探しの旅の話(語り部もついて行ったらしい)。
そして、アルンハイムの風景描写に移る。
感想
芸術論が分量をとっていて、「楽園」自体の描写は想像していたより少なかった。しかし、綺麗だなあ。
現実に近い景色なのだけど、清らかで瑞々しくて、例えば「天国」と言われて思い描くような、美しさがあった。
芸術論のそれぞれの箇所で言っていることを足してみると、地上の景色が不完全なのは死者のための準備だからで、その不完全さは、死者にとっては完全に見えるかもしれない、という話になる。
(手っ取り早く「死者」と言ったが、エリソンは「地の天使」という言葉を使っているので、おどろおどろしい感じじゃなく、そのようなイメージなのだと思う)
ということは、死者が見ている世界を、生者が眺めることができるように(死者が感じる完全と等しく、生者が完全と感じるように)創り上げたのが、このアルンハイムの地所。
つまるところ、「死後の世界」なのだろうか、と感じた。
理屈はともかく、こういう景色を眺めること自体が幸福な、素敵な短篇だった。
『パノラマ島』と比べてみて
- 主人公の境遇が真逆。
- アルンハイムは清らかな美しさで、パノラマ島の艶美な、奇怪な美しさとは異なる。
- 造園に芸術性を見出し、それを推し進めるところは同じだけれど、エリソンは神に対する慎み深さが見える。一方、人見廣介は神のように采配を振るうことを思い描き、不遜な感じを受ける。
- アルンハイムの峡谷のくだりは、パノラマ島の白鳥で渡る大渓谷を思わせる(たまたまかも)。けれど錯視のトリックを入れてくるのが、乱歩らしいと感じた。
ランダーの別荘
『ポオ全集2』東京創元社
『アルンハイム』の続編とのこと。
主人公(アルンハイムの語り部)が旅の途中で道に迷い、秀でた色彩・構図の道を見つけ、辿ってゆく。
物語性はなく、末尾の言葉どおりと思える作品だった。
「わたしの見たままに、ランダー氏の住居の様子をつぶさに伝えるのがこの一篇の目的」
そのため、比較は特になし。
関連
『アルンハイムの地所』は以下の作品に影響を与えているそうな。