近況 2018.01

姪誕生、甥と遊ぶ日々

12月の姪っ子誕生に合わせ、妹と甥っ子が実家に帰ってきた。
家族みんなで家事やら分担して、無事出産。

甥っ子はもうすぐ2歳。もう言葉も色々喋りだして、「ごはんだよー」と食事を勧めてくれたり(さも自分が用意したかのように言うのでおもろい)、色の「あか」が分かるようになってたり、成長の早さに舌を巻く。

乗物が大好きで、プラレールやブロックで線路を作って、汽車や新幹線を走らせてごっつんこさせたり、大量連結・踏切STOP & GOが日課。

あと、湯沸かし器が「ピロリロン♪ オ風呂ガ 沸キマシタ」と喋ると、
「こわい!!ぁっこ!!(抱っこ)」と抱きついてくる。かわいい。
中に知らない誰かがいると思ってるみたい。



そんなほのぼのした中で、SFが読みたくてグレッグ・イーガンに手を出したら、よりによって短篇『キューティ』だった。心をえぐられる。

読書

竹本健治『匣の中の失楽』を読み終わってから、形而上学的な本をよく読むようになった。
『匣の中の――』は、読み終わった直後はそうでもなかったけど、考察を始めるとどんどん評価が上がる本だった。ミステリ三大奇書の中では、好みだった『虚無への供物』に並ぶくらい夢中になれた。

構成に入れ子を使うせいかペレーヴィン『恐怖の兜』とも似てるなーと思って、こちらも読み直した。
9年前に読んだ本だけど、再読すると、昔の自分はかろうじて独我論・入れ子・文字表現=頭の中の思惟(パンデモニウムモデル)・忘我(悟り)、といった点は読み取れているものの、それでも10%くらいしかわかってないんじゃないかと感じた。それでいまブログのレビューを1から書き直している。

『恐怖の兜』は今読んでも、本当によくできている。
ふざけてるくせに深淵で、つかみどころなく真理を突いてくる。読みやすく親切だけれど、侮れない。人間の心を対象にしてるせいもあるんだろう。

10%しか読み取れてないとわかるって事は、それだけ自分が成長したってことなんだろうけど、たとえば他の本でもう再読しない、一回きりの出会いだってある事を考えると、恐ろしくて仕方ない。全然わかってないのに、わかったつもりでその本から離れてしまうわけだから。
脳の前借り機能がほしい。

格ゲー用語でよく「download complete」とか「downloaded」って使うけど、ほんとその本を読むのに必要な前提知識・経験の情報をダウンロードしてから読みたい。
BCIでそのうちできるようになるのだろうか。
未来よ、早く来い。

そこからボルヘス『伝奇集』(篠田訳)、ダニエレブスキー『紙葉の家』、円城塔『Self‐Reference ENGINE』、ヴォネガット『タイタンの妖女』、イーガンを色々つまみ食い、で最近なんか知らんが途中まで読んで次の本に行くという行動をやってしまうので、全部まだ読み終わってはいないのだけど、そのうち読み終わるはず。

冒頭を読んだ限りだとパトリアウ『古書収集家』がすごく好みの文章。

「彼女の祖国では、女は雌鳥のように卵を産んでいたという」

プラセンシア『紙の民』を彷彿とさせるような、わくわくぶりだった。読むのが楽しみだ!!
「魔術的リアリズム」というジャンルだと思うんだけど、中には合わない作家さんもいたので、ストライクを見つけるのって、大変だ。

一方、ペレーヴィンの『ジェネレーションP』もパラ見ではものすごく面白そうで、自分の好みはそのふたつの系統に分かれそうだ。
ペレーヴィンは、自分の中では「文学のパズルゲーム」がしっくりくるのだが、ジャンルとしては何て呼ぶんだろう。

あと最近はネットで読めるPDF論文や読み物に時間を割くことが多い。
最近読んだ中で、熱量が感じられて面白かったのはこれ:
無限論 - 心の哲学まとめwiki
(数カ所誤字があるのが少々もったいないと感じるくらい良い読み物だった)

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