2014-10-06

『日本の憑きもの――社会人類学的考察』 吉田禎吾 ★5

日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)

良書。

キツネ持ち、イヌガミ持ちなどと呼ばれる憑き物持ちの家と、
それを抱える共同体を丹念に取材、考察。
時間が進むほど失われる資料も多いだろうから、貴重な書のように思う。

これの前にレヴィ=ストロースについての本を読んだせいか、
著者も外側でなくその内側にいる人々の論理を探す人なんだな、と感じた。
論理があるからといって、住人がそれを把握して伝承に加担するかはわからないが。

つまり、これは妬む・妬まれる心理を精神的・身体的な症状へ顕在化し、
集落のルール破りを罰するシステムだ。
感情で規範を守らせるシステムってすごいな、と思うと同時になんだろうな。
やはりドロドロしてる。

邪視のシステム(見つめられると不運になる)も、
これと同じで人の注目を浴びないように、なるべく妬まれないように、
という抑止の効果がある。

社会が未開であればあるほど憑き物や妖術が多いというわけではない

社会的相互作用が比較的少なく、接触が緊密でない世界、
また社会的役割が明確に規定されている社会では妖術が少ない

逆の世界では、それらを補う役割を妖術が担っている、ということか。

2011.07



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2 件のコメント:

トロ さんのコメント...

ブログ更新お疲れ様ですよ~
一応大学で社会学専攻してた自分の薄い感性で感じるのは
昔のムラ社会にとってある種楽だったんでしょうかね。
ムラの中の“異”を分別するということ
簡単な方法があると思うのです。
「畏怖なるものとして恐れ排斥するのか」
「崇高なるものとして祀り上げるのか」
普遍でないものが存在した時の対処方法としての解のなかのひとつ
どちらにせよそれを作り上げるのは《異》そのものではなく
ムラ側(異の周り)が作り上げていくものなのかもしれませんね

なんかこのての話はサイレンとかも思い出しますよね
本の内容もよくわからんのに突拍子のないこといってたら
すいません~(T_T)

Mato さんのコメント...

異なるものをどうこうというよりは、
異なるものにされちゃうぞ、かなー。

次のっけるゾンビの記事でも似たようなこと言ってるんですが、
「あんまり調子乗ってると狐憑きにされるぞ」
そういう抑制で共同体のバランスが守られてるというか。

異人についてはまた別項で、
小松和彦さんや赤坂憲雄さんの本で興味深く感じてますよ〜。