2013-11-04

『アメリカン・サイコ』 B.E.エリス ★4

アメリカン・サイコ

頭がおかしいのは、はたして主人公だけだろうか?

『STUDIO VOICE』 "狂気のアメリカ特集" が読むきっかけ。
19歳くらい。

主人公パトリック・ベイトマンはウォール街で働く若きエリート。
……のはずだが仕事の描写はほとんど無い。
内容の大半は女と遊ぶかジムへ行くか夜ごと高級レストランやクラブへ繰り出すかという行動の記述と、目に留まったブランド品の名前で埋まる。
リストを延々と読まされているようで苦痛。

かと思えばパトリックの隠れた趣味、殺人シーンについてはやけに生々しい描写になる。
女の口にドリルを突っ込むシーンは、グロすぎて細目で読んだほど。

普通なら
「なぜこんな事をするようになったのか?」
「何か事情があるのか?」
といった主人公の背景や心情について深く掘り下げるところだが、この作品にはそれがない。
生い立ちも無ければ、家族の詳細もない(どうやら父親とは軋轢があるようだが)、同僚や友人も誰が誰だか、顔がない。

ただ物を見て、物を買い、食べ、飲み、喋り、セックスし、殺す。
あるのは見てくれだけの物、上っ面だけの行動だけだ。

だったら人だって、一定の枠に入りさえすれば彼でも彼女でもおかしくない。
入れ替え可能である。
パトリックが知り合いを混同したり、彼自身も誰かと間違われるのは、どうもそういう事らしい。


コメディじみた殺人鬼

ここまでだったらまだ「情緒の欠けたひどい本を読んじまった」で終わるのだが、この本の困ったところは、この情緒のなさ――問答無用で人を切り刻む、内面の欠けた人間、中身の無い物体――を描きつつ、コメディじみている点だ。

だいたい、パトリックはバカだ。
バレるかもしれないのに知り合いに歴代の殺人鬼についてペラペラ語りだすし、自分のちっぽけなプライドを守るのに必死すぎる。
人を刻むのに何の感傷も持ち合わせない殺人鬼も、周りを社会という枠、力の及ばないシステムに囲まれ、そこで生かされている存在に過ぎないと気づく。

頭がおかしいのは、人殺しの主人公だけだろうか?
この殺人鬼を野放しで飼っている、見えない檻があるのだ。


うろ覚えだが、パトリックは殺した後の残骸を神経質に隠そうとはしなかった。
これは自分がやった事を誇示したいのもあるだろうが、暗に「死体が見つかれば、誰かが俺を見つけてくれる。そうすれば、俺はこの檻から脱出できる」という気持ちが働いているようにも見える。

ところが、ここからが悲劇だ。

普通なら「犯行がばれてしまう!」危機的状況が訪れても、何やかんやで結局バレずに済んでしまう。そのたびに彼は再び、元の檻の中に押しやられてしまうのだった。
最後に彼が見た言葉は


「ここからは出られません」


こうして、澱は溜まり続けてゆく。
殺人も止むことはないのだろう。

うーん、皮肉な話だ。



  • 『レス・ザン・ゼロ』『ルールズ・オブ・アトラクション』も読んだが、
    なるほど後にこれを書く作家だなあと納得。
  • 殺人鬼を内包する街:アクロイド『切り裂き魔ゴーレム』

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