2013-05-17

『虚無への供物』中井英夫 ★3

虚無への供物 (講談社文庫)
三大奇書を読んでみようシリーズその1。

概要

氷沼一族に付きまとう因縁の数々と、彼らを舞台にして起きる4つの密室事件。
様々な曰くで説を飾り立て、4者4様の推理合戦が始まる。


感想


もそも事故死と判断された第1事件。
だがこの本の探偵役たちはこれを密室殺人と捉え、得意げに推理をひけらかす。

読者からすれば、まず他殺かどうかも疑問に思うところを、
いつの間にやら遺族の気持ちを考えれば到底できそうにない、
推理バラエティの聴講者にされてしまうのだ。

話は探偵合戦の体で進み、新発見・前説の撤回・再利用、くるくると説が転回。
どの推理を本筋としていたか、どれが否定されたのか、それともそれさえ嘘だったのか?
段々わからなくなっていった。

読むだけ読んで真相さえわかればいいかと気楽に構えていたのだが、結局それで正解だったかも。

後半怒涛の "曰く いわく" の絡みっぷりには、「どんだけだよ!」と思うほど感服 (※1)
随所で有名ミステリを挙げるので、知ってる人はより楽しめそう。

※以下ネタバレあり。








通の推理小説と変わってるなと思ったのは、探偵たちの突飛な発想の数々、
さすがにそりゃ妄想だろーと思ってたものが実在しているという流れ
(五色不動や薔薇のおつげ、黄司や玄次の存在、紅司のABCD殺人輪舞など)。

後の蒼司の言葉を聞くと、これは動機にも深く関わっている事がわかる。



日のようにニュースや新聞で取り上げられる陰惨な事故、事件。
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、現実は何もかもを飲み込んでゆく。
全うに生きてきた人間が、ふいにぽっかりと空いた穴に落ちる。
蒼司の父親の死は、まさにこれだった。

蒼司は海難事故による父親の「無意味な死」を受け入れることができず、
「父は人間らしい最期を迎えたはずだ」という妄想にすがる。
そしてそれを現実化するために、橙二郎を殺したのだ。
「そうだ。もし神が怖ろしい手違いをしたのなら、おれにだって訂正する資格はある筈だ。」

その彼を、今度は聖母の園の火災事件が苛む。
100人近いお婆さん達がカイロ灰の不始末で死に、
さらになぜか死体がひとつ増えていたという事件。

彼にとっては
「この無意味な死を現実と認めよ。お前の父もこのように死んだのだ」
と言われたに等しい出来事だった。

前に牟礼田が言ったように、「現実の無意味な死」を認めないならば、
その死になにがしかの意味を持たせなければならない。

そうして蒼司は、火災事件を氷沼家に絡む大量殺人事件として描き、
その犯人となる道を選んだのだった。



の犯人は蒼司の空想でしかないが、もし我々が彼を捕らえ処刑するとすれば、
それは彼のシナリオの現実化に手を貸すことになり
(その際には、そのシナリオは "我々の" ものでもある)、
橙二郎を殺した蒼司と同じ役割を演じることになるんだなと思った。

裁く側が加害者と同じ役をこなすとは、ちょっと面白い。
とにかく、蒼司は自ら望んで「意味ある死」を作り出す生贄となる。

(だけどこの「意味ある/ ない」というのも、じゃあ殺人なら意味があって、
 事故は無意味かというとそういうものでも無いんだろう。

 "蒼司にとって" 当初船の事故は無意味と映り、死をなにがしかの方向へ捉え直したい、

 でなければ父の尊厳が保てない、というところから、
 "蒼司にとっての意味ある死" が動機付けられる。

 実際、聖母の園が放火だったにしろ事故だったにしろ、

 私には「こっちの方が意味がある」「こっちの方が人間らしい死だ」なんて言えない。

 ただ犯人がいるというのは、方向性の提示として、

 人を失った悲しみや怒り、やりきれなさを向ける場所があるとは言えると思う。

 原因究明・責任追及も方向性の提示のひとつではあるが、

 蒼司の言葉を聞くとそれをよしとしなかった事が伺える。

 彼は、出来事を神の手――幾つもの無為、偶然の重なりによる事象――

 から人間の元へ引き戻したかった。そんな風にも言えるかもしれない。)



『虚無への供物』という意味についても最後に蒼司の口から語られるが、
これをタイトルにつけているってことは読者への皮肉も込められてるんだろうね。
なるほどそういう意味でアンチ・ミステリかと思い当たったのだが、うーむ。

蒼司くんには悪いが、「未来の殺人を推理する」とか、
紅司くんの死が「アイヌ+蛇+橙二郎の声」で「恐怖と言うものの性質をよく知っていた」
って部分とか、結構面白かったよ。

好奇心は自分にとっては手放せないものだし、
それが人間らしさだと思う部分もあったりするので…まあ何にでも節度があるっていうのは、
すごくよくわかることだ。

第1事件の探偵合戦なんて、久生さんの無節操さには辟易したしね。



「おれが橙二郎を殺したのは、人間の誇りのためにしたことだが、
 どっちにしろ海は、もうそんな区別をしやしない。
 おれのしたことも、別な意味で "虚無への供物" といえるだろうな」

そう、海は区別をしやしないのだ。
この幕引きのセリフは、自分が抗ってきた "無意味さ" を認めているようで、深い。




※1 推理を彩る "曰く" の数々……

  • 氷沼家の業
  • 色に囚われた部屋と誕生石
  • アイヌの蛇神伝説
  • 五色不動と仏説聖不動経
  • アリスの奇妙なお茶会
  • 植物色素と三原色理論
  • 薔薇の名『虚無への供物』
  • 五色不動に対応した薔薇園
  • シャンソンの歌詞
  • 構想のみの推理小説『凶鳥の黒影』
  • さらにそれを実体化した『凶鳥の死』


関連



0 件のコメント: