2013-01-10

『すべてがFになる』 森博嗣

すベてがFになる (講談社文庫)


白いフラットな空間
空気清浄機をかけたようなクリーンさ
無味無臭
無表情


文章のイメージ。読みやすいが、滋味がない。

おまけに、主要人物ふたりにも共感しにくい
(Gシリーズで萌絵に好印象を抱いてるにも関わらず)。
おかげで読み終わるまで長いことかかってしまった。


巷では「理系ミステリ」と呼ばれているようだ。
うーん、どういうことなんだ?

科学の知識や合理的精神で謎解決!
ってことならホームズ時代からの伝統じゃないのか。
登場人物や舞台が工学系だから?
コンピュータ用語がいろいろ登場して、
その機能がトリックに使われてるからそう言われるのか。

でもこれ、森さんの作品だけに言われるものでもないんだよなー。
理系ミステリってカテゴリが今になってもてはやされてるのはなぜなんだろ。


どうも自分は理系/文系に関するレッテル貼りが嫌いで、
この「理系ミステリ」という言葉にもその匂いを感じ、
作品に対するイメージが振り回されてしまった。


※以下ネタバレあり。







たとえば、
感情の起伏が少なく自分の理屈だけで物事を断定する犀川について、
私はほぼ全篇を通して「鼻につく」「共感できない」印象をもった。
しかもその犀川が、「正解」であるかのような物語の書かれ方だ。

これはまったく受け入れられない。


だが最後の西之園先生の話と儀同さんのオチが面白くて、思い返してみると、
犀川は「他なんて知ったこっちゃねー」とばかりに自分に真っ正直、
合理的にものを考える癖があってそういう社会に憧れをもち、
しかしそうはできない/ならない事に鬱憤をかかえている男だ。

私が思ってるよりずっと、人間らしいんじゃないか?


そうやって捉え直してみると、次読むときはきっと、
今回よりは彼に歩み寄れるだろうという気がした。
最後にようやく、共感を通してレッテル貼りを振り払うことができたのだった。

犀川のように嫌いなものには興味が失せる・執着も消える、
またはそういうポーズが取れる性格だともっと楽だったのだが。


1996年の作品とのことで、
あの頃ってMac関連のいろんな月刊誌が平積みになってて、毎号買ってたっけな。
その時代に読んでたら相当面白かったろうなあ。

トリックの腹の中を入れ子として使う話は京極さんを思い出す。

白から始まる第一章、研究所の白壁、白が印象的に使われてるが、
そういや白のカラーコードって#FFFFFFだね。




追記:

犀川が犯人に気づき、そのあと萌絵も気づき、涙を流す。
「ふたりばっかりわかってずりーよ!」と思ってたんだが、
その後バーチャルの茶番が萌絵の推理に則って展開し、
実は犀川の推理とは違ってたのがちょっと面白かった。
『虚無への供物』的錯綜感。

関連

S&M01 『すべてがFになる』
S&M02 『冷たい密室と博士たち』
S&M03 『笑わない数学者』

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